啓蒙主義以後の欧米人としか接していない日本人はそもそも「欧米の何たるや」を理解していないというのが私の考えである。
そもそも欧米の啓蒙主義というのは、それ以前の宗教社会から内発的に変化する動きがあった。一方で日本は、それを仮パクしたのであって、「自ら内発的に思想を生み出した社会と、その思想を権威として受け取った社会」の違いは大きい。
西欧の伝統社会において、内発的に革命を起こしてきた。その中において伝統的な文化と、近代化をいかに位置づけるか。そこに腐心してきた歴史の有無である。
戦後の日本は金科玉条のように外来のものを受け取った結果、どうも「民主的」というのが絶対的権威とされている節がある。完全に啓蒙された人間ができればそこに理想的な民主主義社会ができるはずだ、そしてうまくいかないのは民主化・啓蒙が足りない、という発想をしがちである。それが、「自ら生み出してきたもの」と「仮パクしてきたもの」の差である。
そもそも欧米人の問題意識は、伝統的な宗教社会を打破して、「法の下に平等」とした一見進化と思えるものも、結局は社会的な共同幻想のもとに成り立っているという上で新しい宗教じゃないか、というところにある。結局は新しい社会はその法の枠内にあるのではないか、その秩序維持もまた崩壊するのではないか。
人も社会も、行き詰まりを感じたときは、これまでの権威を権威として信じられない時である。当然に何を「信じて進む対象としたら良いか」がわからなくなり、彷徨えるという状態になりやすい( 日本人の劣等性は文豪・夏目漱石がすでに指摘している。 )。
漱石の時代から続く「内発的に価値を生み出せない」という日本的劣等性は、ここに露わになる。彼が『こころ』や『三四郎』で描いた「時勢に押し流される個人」の姿は、まさにこの問題の文学的表現であった。
そして今、令和の時代に至っても、日本社会はなお「外から与えられる目標」を待ち続けている。AI、グローバル化、SDGs、ジェンダー平等――すべてが「外部で正しいとされるもの」を仮パクしているにすぎない。本当に問われているのは、「では日本人自身は何を欲しているのか」「どのような社会を内発的に生み出せるのか」という根本的な問いである。
しかし、その問いを立てる力自体を失ってしまった――ここに日本的近代の悲劇がある。
この国には思想がない。
思想生産性がない。
さらには、思想家・活動家を自称する人間たちは、「フェミかぶれ」の厄介な人間、つまり仮パクの上にそもそもその「臭いマンコを押し付けるような活動」そのものに社会的生産性がない。
今の社会の生きづらさはどこからくるか。
政治が体系主義や方法主義で運営されるようになると、雑種の排除が全面化する。現実の複雑性が無視されてしまう。思想のレベルなら構わないが、政治にそのイズムが入ってくると、非常に危険である。いわゆる管理システムや全体主義は、近代的方法主義・体系主義の全面開花である。
なお、前近代に全体主義は存在しない。世界全体を数量的に処理するという近代の発想がなければ全体主義は成立しない。
近現代は、精神の曖昧さを取り除こうと「正確さ」に病的に取り憑かれた時代でもあった。精神の場合、曖昧さがあると不安でしかたがない。そこで哲学でも科学でも精密さを追求した。原理や論拠からスタートして、首尾一貫とした体系を作ることが学問の理想と思われた。その理念にしたがって純粋なる世界を構築し、その純粋性が真理の保証であるとすら思われた。
科学の世界はそれで良い。
だが、まず考えたいのは、そもそも人間の生活、幸福、私たちが心から希求するものが果たして「そういうものなのか」ということだ。
ただ現代は、人間や、生活や、社会を計算可能の対象としている。
ありとあらゆるものが計算の対象となっている。
当然、テクノロジーが応用される。テクノリバタリアンの時代である。
人間の幸福は、体系的に数値化できるものではない。ところが近代以降の社会は、「正確さ」と「首尾一貫性」を絶対視するあまり、生活や文化に本来備わっていた曖昧さや余白を切り捨ててきた。だが、その「余白」こそが、人間が人間らしく存在できる空間だったのではないか。
漱石がしきりに「則天去私」と説いたのも、まさにこの点に関わる。個人の我執や体系の押し付けを超えて、自然や生活そのものに身を委ねる――そこに人間的な調和を見出そうとしたのである。彼は「正確さ」に基づく近代的精神を誰よりも痛感しつつ、その不完全さや不安定さをあえて受け入れる方向を模索した。
しかし、戦後の日本は逆に「精密さ」への信仰をさらに強めた。高度経済成長は管理と計画の勝利と見なされ、社会全体がシステムに組み込まれた。そこでは「生きづらさ」はむしろ当然である。なぜなら、人間の心や関係性の曖昧さは、効率化・合理化の対象としては「ノイズ」とされ、削ぎ落とされてしまうからだ。
だが人間の幸福とは、合理の外にこそ宿る。数値化できない余情や、論理的に説明できない情愛、あるいは矛盾を抱えたままの生の実感。そうした曖昧さを「無駄」と切り捨てる社会は、結局は人間から生きる手応えを奪う。これが今の「生きづらさ」の根本ではないか。
近代日本の悲劇は、西洋の「正確さ」を模倣するあまり、それを調整する文化的知恵を持たなかったことにある。西洋では啓蒙の合理主義と並行して、芸術や宗教が「人間の曖昧さ」を支え続けてきた。だが日本は「仮パク」の結果、その両輪のバランスを失った。
今、我々に問われているのは「正確さの外に、いかに人間らしさを守るか」という課題である。もはや「民主主義」や「合理主義」といった外来のスローガンを信奉するだけでは、この閉塞は突破できない。
時間の捉え方も歴史によって異なり、
未来に向かってより高いものを目指し決断的に努力していく
という構図は、18世紀以降である。
未来を先取りして、ある種の理想状態を立てて、それに向かって自分を方法的に引っ張っていく。
社会に宗教的な精神は無くなっても、「時間的な自己犠牲の道徳」だけは残って、それが近現代社会を内面から支えている。いわば規律的であること。逆に言えば堕落は良くないということ。
この「時間的な自己犠牲の道徳」は、確かに近代を動かしてきた強力な原理であった。進歩、発展、成長――これらはすべて未来を志向する時間観念の上に成立している。宗教的救済を失った社会が、代わりに「進歩」という世俗的救済を信じることで秩序を保ったのである。
この先に、ユートピア社会的な考え方があった。
しばしばこれは、暴走を招いた。
その時間意識は本来「内発的な理想」を持ち得た社会においてのみ機能する。西洋では、啓蒙や市民革命が自らの歴史の中から生成した理想を未来に投影し、そこに向けて犠牲や努力を正当化できた。だが日本はその「未来志向」すらも輸入に依存した。つまり、未来像が他律的に与えられたものだったのである。
だから日本の「努力」は、常に誰かの模倣であり、追随でしかなかった。経済成長の時代にはアメリカ型の大量生産社会を、情報化の時代にはシリコンバレーの理想を、そして現在はSDGsやジェンダー平等といった国際的スローガンを――。それを「未来」と信じ、規律的に従おうとするが、そこに自らが納得できる必然性が存在しない。したがって時間的な自己犠牲もまた、虚しさを帯びる。
この虚しさが、日本人特有の「燃え尽き」と「やる気のなさ」として現れるのではないか。必死に努力し、成果を上げても、それが本当に自分たちの未来につながっているという確信が持てない。だから成果が社会的に積み重ならず、次の世代へと継承されない。すべてがリセットされ、また「外から与えられる目標」を探す彷徨に戻ってしまう。
漱石がすでに一世紀以上前に指摘した「内発的でなければ開化は嘘である」という言葉は、まさにこの時間意識の問題を突いている。外から与えられた未来を信じて努力するのは、結局は「他人の宗教」に殉じるようなものだからだ。そこには必ず歪みが生じる。
===
![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() |
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。